橘朝臣今大路家
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戦国時代の医師曲直瀬道三(近江源氏佐々木氏庶流堀部氏の出身とされる)は名医として知られ、その一族・一門は医学界に重きをなした。 道三の甥で養子の曲直瀬玄朔(のちに二世道三)の子・曲直瀬玄鑑(親清)は、天正20年(1592年)に後陽成天皇より橘姓と今大路の家号を賜った(のちに三世道三。今大路道三参照)。玄朔についても今大路玄朔と呼称される。 曲直瀬今大路家の当主の多くは「道三」を襲名し、初代曲直瀬道三の一族・一門の立てた曲直瀬各家の宗家を任じた。曲直瀬今大路家は、半井家とともに江戸幕府奥医師筆頭の典薬頭を代々務めた。江戸の道三堀は、同家の屋敷が南岸にあったことからつけられた名である。 家紋として、『寛永諸家系図伝』によれば「橘」を用いる。『寛政重修諸家譜』によれば「四目結」「笹竜胆」「五七桐」を用いるとする。桐の紋は親清が後陽成天皇から賜ったものとされている。
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