橘公園
橘公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/26 04:34 UTC 版)
橘公園は、太平洋戦争後の復興土地区画整理により宮崎県によって整備され、1948年6月23日に供用が開始された。 1954年に宮崎交通が休憩所であるロンブルテント(31ヶ所)の設置と、フェニックス(51本)の植栽を行い、現在の風景の基盤を作った。1955年12月21日に管理を宮崎市に移管。1970年代には橘橋の(6代目への)架け替えに伴い公園の形状を変更し、1996年度から1998年度にかけて再整備が実施された。 ロンブルテントの屋根は、赤と白、青と白のストライプでカラフルに配色されており、公園内の所々に配置されているほか、歌人である長塚節が宮崎の地を詠んだ歌碑が建てられている。通りや公園からは、高千穂峰、韓国岳などの霧島山系の山々を遠望することができる。この霧島山がある方向に夕日が沈み、その風景が美しい地であることでも知られており、1964年(昭和39年)にNHK連続テレビ小説『たまゆら』の執筆のために、宮崎を訪れた川端康成が夕日の美しさに感動したあまり、当初2日間の予定だった通り沿いのホテル滞在期間を、15日間に延長したといわれている。『たまゆら』記念碑は、橘公園内にも建立されている。
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