橘入居とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 橘入居の意味・解説 

橘入居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/14 07:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
橘入居
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 不明
死没 延暦19年2月10日800年3月8日
官位 従四位下右中弁
主君 桓武天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘奈良麻呂、母:藤原宇合娘?
兄弟 安麻呂島田麻呂清野清友入居
永継永名逸勢御井子、田村子
テンプレートを表示

橘 入居(たちばな の いりい)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族参議橘奈良麻呂の子。官位従四位下右中弁

経歴

桓武朝初頭の延暦2年(783年従五位下近江介に叙任される。延暦4年(785年中衛少将と京官を兼ねるが、延暦7年(788年遠江守として再び地方官に転じる。

その後、従五位上・左兵衛佐に叙任され、延暦14年(795年)には近江・若狭両国に駅路を調査するために派遣されている[1]。のち左少弁、延暦15年(796年)には右中弁と弁官を兼ね、延暦16年(797年)には、大納言神王らと共に『刪定令格』の編集に参画した。その後、播磨守左京大夫を兼帯し、延暦18年(799年)4月以降に従四位下に至る。

延暦19年(800年)2月10日卒去。最終官位は右中弁従四位下。

人物

しばしば適切な内容で上書を提出したが、有益な事項が多かった。右中弁に抜擢され、政務に関する意見が多く採用されたという[2]

官歴

六国史』による。

系譜

脚注

  1. ^ 『日本後紀』延暦14年7月26日条
  2. ^ 日本後紀』延暦19年2月10日条
  3. ^ a b 『日本後紀』弘仁12年3月14日条
  4. ^ 「橘氏系図」(『続群書類従』巻第164所収)で載せるものがある。
  5. ^ 『日本三代実録』貞観8年5月10日条
  6. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年5月15日条
  7. ^ 「橘氏系図」(『続群書類従』巻第108所収)
  8. ^ 『日本三代実録』貞観10年11月23日条

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「橘入居」の関連用語

橘入居のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



橘入居のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの橘入居 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS