橘清野とは? わかりやすく解説

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橘清野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/02 09:29 UTC 版)

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橘清野
時代 平安時代初期
生誕 天平勝宝2年(750年
死没 天長6年12月19日830年1月17日
別名 浄野
官位 従四位上
主君 嵯峨天皇淳和天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘奈良麻呂
兄弟 安麻呂島田麻呂清野清友入居
安雄、広雄、継麻呂、船子
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橘 清野(たちばな の きよの)は、平安時代初期の貴族。名は浄野とも記される。参議橘奈良麻呂の子。官位従四位上

経歴

弘仁3年(812年従五位下叙爵嵯峨朝末の弘仁13年(822年)従五位上次いで従四位下と1年間に四階の昇叙を受けた。淳和朝の天長2年(825年)従四位上に至る。

天長6年(830年)12月19日卒去。享年80。最終官位は散位従四位上。

人物

質素な性格で、欲が少なかった。交野に隠棲し朝廷に出仕しようとしなかったが、嵯峨天皇皇后橘嘉智子の伯父であったことから高位に昇ったという[1]

官歴

日本後紀』による。

系譜

脚注

  1. ^ 『日本後紀』天長6年12月19日条
  2. ^ a b 日本三代実録』貞観5年8月17日条

参考文献




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