橋牟礼川遺跡の学史的成果と成川式土器とは? わかりやすく解説

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橋牟礼川遺跡の学史的成果と成川式土器

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 23:24 UTC 版)

成川式土器」の記事における「橋牟礼川遺跡の学史的成果と成川式土器」の解説

指宿市十二町所在橋牟礼川遺跡は、1916年大正5年)に旧制志布志中学校生徒土器片を拾ったことがきっかけで存在確認され、1918~19年大正7~8年)に、濱田耕作中心となって発掘調査行ったその際開聞岳噴出物堆積層挟んで下層縄文土器含まれ上層弥生土器(とされた土器)が含まれていたことで、当時論争となっていた「縄文土器弥生土器違い年代の差なのか、使用する人種民族の差なのか」という問題が、層位学事実により「年代差」であることが決着した。 現在では常識となっている「縄文時代から弥生時代へ」という時代推移は、この遺跡調査によって明らかとなったのであり、考古学史に残る成果であった。 しかし、濱田らが発掘したこの「弥生土器」は、先に挙げた研究史成果から見て今日では古墳時代後期の「成川式土器」に位置付けられるものであった。すなわち、「縄文土器時代)から弥生土器時代)へ推移した」という歴史的事実誤りはなく、橋牟礼川遺跡調査間違いなくそれを証明したが、その根拠となった橋牟礼川遺跡上層土器は、型式学的にも年代的に弥生土器ではなかったのである

※この「橋牟礼川遺跡の学史的成果と成川式土器」の解説は、「成川式土器」の解説の一部です。
「橋牟礼川遺跡の学史的成果と成川式土器」を含む「成川式土器」の記事については、「成川式土器」の概要を参照ください。

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