極東委員会への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)
「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「極東委員会への対応」の解説
これが松本の実際の行動であり、1954年の「よんどころなく急いでやった」証言と矛盾している。「そういうことになったら大変だと思ってよんどころなく急いでやった」のは、松本ではなく、楢橋である。楢橋は、極東委員会から共和制憲法が「押し付けられる」事態をさけ、昭和天皇を擁護するために一肌脱いだ。3月5日の閣議を受け、日本政府は翌3月6日、「憲法改正草案要綱」を発表した。その日、楢橋は出来たばかりの「憲法改正草案要綱」13通に、ハッシーの前でマッカーサーと共に署名をし、英文の憲法が日本語原文の正確な公式訳であることを証明した。11通は極東委員会11ヵ国の分、1通はアメリカ側保管用、1通は日本側保管用である。その後、ハッシーはそれを持参して特別機でアメリカに飛んだ。翌3月7日は、極東委員会で日本国憲法に関する討議が予定されており、それに間に合わせるためであった。楢橋は後日、「非常にうまくいって間に合った」という話をハッシーから聞いた。つまり、マッカーサーは「極東委員会がまさに大統領制の日本国憲法草案を発令しようとする直前にこの憲法草案を突込んだ」のであり、「極東委員会に対して先手を取った」形となった。
※この「極東委員会への対応」の解説は、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の解説の一部です。
「極東委員会への対応」を含む「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事については、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の概要を参照ください。
- 極東委員会への対応のページへのリンク