植田美千代とは? わかりやすく解説

植田美千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/03 03:26 UTC 版)

うえだ みちよ
植田 美千代
プロフィール
出身地 日本 大分県速見郡日出町
生年月日 (1951-09-21) 1951年9月21日(74歳)
血液型 A型
職歴 MBC南日本放送エグゼクティブアナウンサー
活動期間 1974年 -
ジャンル 報道情報バラエティ
配偶者 独身(未婚)
担当番組・活動
出演経歴 どーんと鹿児島
『ポップオンタイム』
城山スズメ
Hello!みちようび』など

植田 美千代(うえだ みちよ、1951年昭和26年〉9月21日[1] - )は、鹿児島県を拠点に活躍する日本のフリーアナウンサー。元MBC南日本放送エグゼクティブアナウンサー

1979年(昭和54年)以降、最優秀賞を含めアノンシスト賞を計9回、受賞している。

略歴

大分県速見郡日出町出身[2]、血液型A型[1]、独身。

大分県立大分商業高等学校、関西方面の私立大学を卒業後、地元でのOL生活を経て1974年(昭和49年)3月入社。MBCラジオ『やったんこのちぇすといけ!ヤング』において、一般人から応募した作詞に猪俣睦彦が作曲した番組テーマ曲「みんなともだち」における「長い髪の小猫ちゃん」とは二代目アシスタントの植田のことであり、ミニスカートの出で立ちでファンが多かった[3]

「キク調剤薬局 大学病院前店」「本格焼酎 里の曙」などラジオCMも多数行い、「こちらはMBCラジオです~~~ラジオは適当な音量でお楽しみください」という長年、MBCラジオの深夜枠で流れ10秒スポットも行ったほか、1984年(昭和59年)から1996(平成8年)まで12年に亘ってテレビ放送終了時の局名告知も行った。

2016年(平成28年)3月31日付で定年により退職[4]。退社後も、MBC50ニュースでニュースを読んだり城山スズメにピンチヒッターとして出演するなど、MBCラジオの番組への出演機会も少なくない。テレビ番組でもMBCが制作した回でナレーションを担当しており、『日本のチカラ』において2023年(令和5年)7月1日放送「子ども記者と名コンビ!〜名山新聞 ほんわか物語」を[1][5]BS-TBS『ドキュメントJ』において2025年(令和7年)5月25日放送「漂う漁師」を担当。2018年(平成30年)7月21日に、かごしま近代文学館で行われた朗読会など[6]、朗読の仕事なども行う。

MBC南日本放送では新人アナウンサーの初鳴きに付き添うこともあったが、初鳴きに付き添った一人である藤本真未とは10年経った後もよく電話で話をする仲である[7]

作曲を宮井紀行が行い、当時のMBC南日本放送の全アナウンサーが参加して歌い2010年(平成22年)6月にリリースされた「ラジオのうた」は、植田が作詞[4][8][9]。2009年(平成21年)11月7日の「1107MBCラジオデー」におけるアミュプラザ鹿児島のアミュ広場で行われたイベントでは、猪俣睦彦、スマイリー園田DJ EIJI、宮井紀行のギター弾き4人が「M4」を結成し、ラジオのうたを披露した[9]

音楽が好きで、多い時には年間100本近いライブに足を運んでいた[8]

亀渕昭信とも仕事で複数回共演しており、MBCラジオが毎年10月に行っているMBCラジオスペシャルウィークでは、2013年(平成25年)10月10日放送の開局60周年記念特番『オールナイト・ミナミニッポン』や[10]、2023年(令和5年)11月8日放送の開局70周年記念特番『亀渕昭信・植田美千代のロックンロールドーナッツ』でも2人で番組を行ったほか[11]、2013年(平成25年)10月10日に宝山ホールで行われた「南日本放送開局60周年 感謝の夕べ」でも舞台上で対談を行っている。

長渕剛とは、MBCラジオ『むっちゃんのチェストいけ!ヤング』にデビューして間もない長渕が出演した当時の、番組ディレクターだったため面識はあったものの、1988年(昭和63年)に「とんぼ」を原作かつ主題歌としたドラマ『とんぼ』の、長渕の主演作では初の地元・鹿児島県を舞台とした鹿児島パートで、TBS系列局のアナウンサーということから実現した友情出演において、近隣住民の役でカメオ出演した以外はほぼ接点は無かったが、2004年(平成16年)の長渕剛 桜島オールナイトコンサートで事前説明の記者会見や当日の総合司会に抜擢されて以降、私生活も含め長渕と交流が深まるようになり、MBCラジオの番組に長渕が出演する際に指名されるなど、長渕からは信頼が厚く公私を越えて姉のように慕われている。長渕は、2006年(平成18年)7月に、MBCのラジオ番組『スマイリー園田のLive Alive』で番組スタジオでの長渕のライブが公開生放送されたり、『長渕剛のオールナイトニッポンフライデースペシャル・今夜もバリサン』をMBCラジオのスタジオから、全国へ生放送した回があった際などにも、植田は長渕へ挨拶に出向いている。

受賞

アノンシスト賞の最優秀賞を3回、優秀賞を6回受賞している。

1993年(平成5年)度の第19回では、テレビ部門で最優秀賞を受賞[12]。1998年(平成10年)6月には、1997年(平成9年)度の第23回において『AMリーグ 文々学々アワー』での読みの技術を評価され、ラジオ部門で最優秀賞を受賞し、「読みの違いにこだわり続けていたので、ラジオ部門で受賞できたことが嬉しい」と植田は喜びを語った[12]。2011年(平成13年)度の第37回ではテレビ「読み・ナレーション」部門で最優秀賞を受賞。

優秀賞は、1979年(昭和54年)度の第5回でテレビCM部門、1987年(昭和62年)度の第13回でラジオCM・ ラジオショッピング番組部門、1991年(平成3年)度の第17回でテレビ番組部門、1992年(平成4年)度の第18回でMBCアナウンサーの采野吉洋と共にテレビCM・テレビショッピング番組部門、1999年(平成11年)度の第25回でテレビ「読み・ナレーション」部門、2003年(平成15年)度の第29回でテレビ「読み・ナレーション」部門において受賞した。

出演

テレビ

ラジオ

脚注

注釈

  1. ^ 月曜日と木曜日を受託し担当。
  2. ^ 2010年度まで長年レギュラー出演。レギュラー降板以降や退職後も、代役として受託する事が多い。
  3. ^ 1970年代から1980年前半に放送。
  4. ^ 3年間担当。
  5. ^ 番組内では洋楽も紹介[8]
  6. ^ 采野吉洋と番組を担当[8]
  7. ^ 二代目アシスタント。

出典

  1. ^ a b c 植田美千代のプロフィール”. WEBザテレビジョン. 2024年1月4日閲覧。
  2. ^ 「全国アナウンサーキャスター名鑑」『NHKウイークリーステラ』1999年6月25日号。
  3. ^ 南日本放送35周年記念出版委員会 編「ラジオ編 MBCラジオの看板番組 公開スタジオ番組「チェストいけ!ヤング」」『未来を拓く MBC35年のあゆみ』MBC南日本放送、1988年、19頁。 
  4. ^ a b 涙と歌と笑顔で”. スタッフは見た. MBC南日本放送 (2016年3月31日). 2021年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月5日閲覧。
  5. ^ #347 子ども記者と名コンビ!~名山(めいざん)新聞 ほんわか物語”. 日本のチカラ. 民間放送教育協会 (2023年7月1日). 2024年1月4日閲覧。
  6. ^ 文学館ライブ 植田美千代のちょっとこわ~い朗読会”. かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館. 2024年1月4日閲覧。
  7. ^ 藤本真未 [@manamifujimoto108]「節目なので…」2024年6月2日。Instagramより2025年10月31日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g 6月4日(木)植田美千代ANが登場!!”. たんぽぽ倶楽部. 海童が行く. MBC南日本放送 (2020年6月4日). 2025年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月4日閲覧。
  9. ^ a b 「「音楽」テーマにラジオデー MBC 11月7日放送」『南日本新聞』2009年11月6日、朝刊、27面。
  10. ^ ジミー入枝 (2021年11月28日). “#367 亀渕昭信さん”. ジミー入枝のドゥーワップ・ステーション. MBC南日本放送. 2024年1月4日閲覧。
  11. ^ MBC南日本放送『MBCラジオ70周年スペシャルウィーク ~ありがとう!これからもともに!~』2023年11月4日(土)~12日(土)放送”. MBC南日本放送. 2024年1月4日閲覧。
  12. ^ a b 「MBC、ラジオとテレビCM部門で最優秀賞 アノンシスト賞」『南日本新聞』1998年6月21日、朝刊、16面。

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