古川廣生
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ふるかわ ひろお
古川 廣生 |
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|---|---|
| プロフィール | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1952年4月18日(73歳) |
| 血液型 | O型 |
| 最終学歴 | 関西大学法学部法律学科卒業[1] |
| 勤務局 | 南日本放送 |
| 部署 | アナウンス部 |
| 職歴 | ラジオ局放送制作部長→ラジオ局ラジオ営業部長→営業本部ラジオ営業部長→編成本部局次長・ラジオ制作部長→大阪支社長→MBC学園長 |
| 活動期間 | 1977年 - |
| 公式サイト | MBC南日本放送 |
| 出演番組・活動 | |
| 出演中 | 本文参照 |
| 出演経歴 | 本文参照 |
古川 廣生(ふるかわ ひろお、1952年〈昭和27年〉4月18日[1] - )は、MBC南日本放送のアナウンサー。
略歴
佐賀県東松浦郡出身[1]。『オールナイトニッポン』を聴いていて憧れが強くなり、好きな喋りを職業にしたいと思ったことがきっかけで、アナウンサーを志す[1]。
関西大学法学部法律学科卒業後の1977年(昭和52年)4月1日、MBC南日本放送に入社[1][2]。同期は、二見いすず[2]。
1996年(平成8年)7月1日から1999年(平成11年)1月11日までラジオ局放送制作部長、1999年(平成11年)1月11日から7月3日までラジオ局ラジオ営業部長、2000年(平成12年)7月3日から2005年(平成17年)3月31日まで営業本部ラジオ営業部長、2005年(平成17年)4月1日から2007年(平成19年)1月31日まで編成本部局次長を兼ねラジオ制作部長、2007年(平成19年)2月1日から2011年(平成23年)2月まで大阪支社長、2011年(平成23年)3月1日から2014年(平成26年)までMBC学園長として出向し、20年近く他部署での勤務と出向を経て、2014年(平成26年)にアナウンス職へ復帰。その間、2013年(平成25年)3月31日に定年退職[2]。
2010年(平成22年)5月30日放送の『春の馬ダンス!神話の里の初午祭 1番馬伝説と共に~加治木町木田~』[3]などでプロデューサーを務め、これまで担当した番組の中には、ディレクターを兼任したものもあった[1]。
担当番組
現在
- ラジオ
過去
- テレビ
- ザ・ベストテン[注釈 3]
- どーんと鹿児島 - リポーター[4]
- どーんと鹿児島2時間SP - 8.6水害から30年〜あの夏、鹿児島は〜(2023年〈令和5年〉8月2日) - ナレーター。
- 11人の墓標[5][注釈 4](1985年〈昭和60年〉6月28日)
- ラジオ
- 今週の歌謡ベストテン[注釈 5]→MBC歌謡ベストテン→昭和を御唱和
- KCてれほれ60分[注釈 6]→
- 古川廣生の1・2のサンデー(1984年〈昭和59年〉11月4日 - 1986年〈昭和61年〉3月30日[注釈 7])
- 城山スズメ(1987年〈昭和62年〉10月 - 1989年〈平成元年〉3月)
- 夜の城山スズメ(1987年〈昭和62年〉10月 - 1989年〈平成元年〉3月)
- ガクエンに行こう!~MBC学園に行こう!(2011年〈平成23年〉 - 2014年〈平成26年〉)
- かごしまラジオ横丁(2013年〈平成25年〉10月5日 - 2016年〈平成28年〉3月26日)
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、291頁。
- ^ a b c MBC南日本放送 編「全社員名簿」『MBC61~70年の軌跡』MBC南日本放送、2024年、188-197頁。
- ^ “春の馬ダンス!神話の里の初午祭 1番馬伝説と共に ~加治木町木田~”. 放送ライブラリー. 2025年11月16日閲覧。
- ^ “「不適切にもほどがある?」昭和~平成初期の秘蔵映像でタイムスリップ「懐かしいにもほどがある!」”. MBC南日本放送 (2024年3月27日). 2025年11月16日閲覧。
- ^ “11人の墓標”. 放送ライブラリー. 2025年11月16日閲覧。
外部リンク
- 古川廣生のページへのリンク