森田駿哉
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| 読売ジャイアンツ #47 | |
|---|---|
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2025年4月
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 富山県富山市 |
| 生年月日 | 1997年2月11日(28歳) |
| 身長 体重 |
185 cm 88 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2023年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 2025年7月31日 |
| 年俸 | 1350万円(2025年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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森田 駿哉(もりた しゅんや、1997年2月11日 - )は、富山県富山市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。
経歴
プロ入り前
富山県立富山商業高等学校では3年夏の第96回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。日大鶴ヶ丘との初戦で完封勝利、小郷裕哉、海野隆司擁する関西との2回戦で1失点完投勝利を記録した[2][3]。日本文理との3回戦では飯塚悟史と投げ合ったが、自身の降板後にチームは逆転サヨナラ負けを喫した[4]。
高校卒業後は法政大学へ進学。1年春からリーグ戦に登板したが、その後左肘を痛め、2年冬に手術を受けて長期離脱した[5]。4年春から復帰したが、リーグ戦では大学通算で1勝に終わった。プロ志望届を提出したが、2018年のドラフト会議での指名はなかった[5]。
大学卒業後はHonda鈴鹿へ入社。
入社5年目の2023年7月に開催された第94回都市対抗野球大会ではトヨタ自動車の補強選手として出場し、前回大会で優勝したENEOSとの2回戦に先発登板して勝利投手となるなど、優勝に貢献した[6]。その後、同年10月26日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから2位指名を受け[7]、11月19日、契約金8500万円、年俸1500万円で入団に合意した[8]。背番号は47[8]。27歳を迎えるシーズンでのドラフト指名は、読売ジャイアンツの球団史上最年長となった[9]。
巨人時代
2024年は、春季キャンプで一軍スタートとなったが、2月13日に左肘炎症のため離脱[10]。4月23日に左肘関節鏡視下クリーニング術を受けた[11]。9月10日の二軍戦で公式戦初登板し、2回を3安打無失点4奪三振で初勝利を挙げた[12]。11月6日、150万円減となる推定年俸1350万円で契約を更改した[13]。
2025年は開幕から二軍で先発ローテーションを守り続けていた[14]。7月30日に初の一軍昇格を果たし、翌7月31日の中日ドラゴンズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で延長10回裏に救援としてプロ初登板を果たすが、味方のエラーが絡み被安打0、自責点0(失点1)で敗戦投手となった。なお、2リーグ制以降の巨人で初登板投手がサヨナラ打を打たれて敗戦投手となるのは史上初である[15]。この時期のチームは、先発ローテーションの一角を担っていた井上温大が不振で[16]、西舘勇陽とフォスター・グリフィンがコンディション不良で相次いで登録抹消され[17][18]、深刻な先発投手不足に陥っていた背景もあり、8月6日の東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)にてプロ初先発が決定した[19]。結果、6回無失点、被安打2と好投し、プロ初勝利を記録した[20]。次の12日の中日戦は中5日で先発登板することとなったが[21]、7回無失点の好投で2勝目を記録した[22]。しかしその後の白星は9月3日のヤクルト戦(京セラドーム大阪)で3勝目を挙げた[23]のみにとどまり、9月18日のヤクルト戦ではサインミスを連発して3回4失点でノックアウトされ、試合後には監督の阿部慎之助から「あれでは捕手が何人いても死人が出る」と苦言を呈された[24]。翌日に登録抹消となり[25]、以降は一軍登板なくシーズンを終えた。最終的に9試合の登板で3勝4敗、防御率3.58という成績だった[26]。
選手としての特徴・人物
最速154km/hの直球と高速スライダー、ツーシームが武器の本格派左腕[27][9]。変化球はその他フォークを投じる[28]。
愛称は「タモリ」[9]。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2025 | 巨人 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 162 | 37.2 | 35 | 4 | 14 | 2 | 1 | 25 | 1 | 0 | 19 | 15 | 3.58 | 1.30 |
| 通算:1年 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 162 | 37.2 | 35 | 4 | 14 | 2 | 1 | 25 | 1 | 0 | 19 | 15 | 3.58 | 1.30 | |
- 2025年度シーズン終了時
年度別守備成績
| 年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
||
| 2025 | 巨人 | 9 | 2 | 6 | 0 | 0 | 1.000 |
| 通算 | 9 | 2 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
- 2025年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2025年7月31日、対中日ドラゴンズ16回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、10回裏に8番手で救援登板、2/3回1失点で敗戦投手[29]
- 初先発登板・初勝利・初先発勝利:2025年8月6日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(東京ドーム)、6回無失点[30]
- 初奪三振:同上、1回表に内山壮真から空振り三振[30]
- 打撃記録
- 初打席:2025年8月6日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(東京ドーム)、3回表にペドロ・アビラから空振り三振
- 初安打:2025年8月20日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(明治神宮野球場)、5回表にペドロ・アビラから右前安打[31]
背番号
- 47(2024年[8] - )
代表歴
脚注
- ^ 「巨人 - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2024年11月7日閲覧。
- ^ 「阪神「左ではトップクラス」 富山商・森田が8K完封」『スポニチ Sponichi Annex』2014年8月12日。2023年10月27日閲覧。
- ^ 「富山商 41年ぶり夏2勝!森田「90点」納得の完投ショー」『スポニチ Sponichi Annex』2014年8月18日。2023年10月27日閲覧。
- ^ 「富山商号泣 逆転サヨナラ被弾 - 高校野球ニュース」『日刊スポーツ』2014年8月22日。2023年10月27日閲覧。
- ^ a b 「甲子園沸かせた富山の“逸材左腕”の紆余曲折 怪我と挫折乗り越えて迎える運命の日」『Full-Count』2020年10月25日。2023年10月27日閲覧。
- ^ 「140キロ台後半の直球でV候補ENEOSを封じた補強左腕 トヨタ・森田駿哉6回1失点「仕事果たせた」【都市対抗野球】」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』2023年7月20日。2023年10月27日閲覧。
- ^ 「【ドラフト】巨人はドラフト2位で苦労人の26歳左腕・森田駿哉を指名」『スポーツ報知』2023年10月26日。2023年10月27日閲覧。
- ^ a b c 「【巨人】ドラ2ホンダ鈴鹿・森田駿哉が仮契約 左のエース背番47に決定 「ジャイアンツのエンジンになりたい」」『スポーツ報知』2023年11月20日。2024年3月9日閲覧。
- ^ a b c 「【巨人】ドラ2・森田駿哉、ニックネームは「タモリ」…球団最年長27歳シーズンでの新人王へエンジン全開」『スポーツ報知』2023年10月28日。2024年2月17日閲覧。
- ^ 「【巨人】ドラフト2位・森田駿哉が左肘の炎症で故障班へ 期待の即戦力左腕が無念の離脱」『日刊スポーツ』2024年2月12日。2025年2月8日閲覧。
- ^ 「【巨人】ドラ2左腕・森田駿哉が左肘をクリーニング手術 球団発表」『スポーツ報知』2024年4月23日。2025年2月8日閲覧。
- ^ 「巨人ドラ2左腕、4月下旬に左肘手術→2軍戦初登板初勝利 前評判通りの投球披露」『スポーツ報知』2024年9月11日。2025年2月8日閲覧。
- ^ 「【巨人】森田駿哉が150万円減の1350万円で契約更改「開幕1軍に残って2ケタ勝ちたい」」『スポーツ報知』2024年11月6日。2025年2月8日閲覧。
- ^ 「【巨人】前半戦の2軍ローテを唯一守った森田駿哉 野上コーチ「課題わかって取り組んでいる」…3軍戦」『スポーツ報知』2025年7月20日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「わずか5球…自責0でデビュー戦サヨナラ敗戦投手の巨人・森田駿哉「まだまだ実力不足」」『スポーツニッポン』2025年7月31日。2025年8月6日閲覧。
- ^ 「巨人・杉内コーチ 井上抹消理由はベースカバー遅れ「油断なのか、慢心なのか」 マー君復帰は?」『スポニチアネックス』2025年8月1日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「【巨人】西舘勇陽が登板4日後に登録抹消 井上温大と直近の火、木の先発不在に」『スポーツ報知』2025年8月2日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「【巨人】グリフィンが右ひざ痛で登録抹消 井上温大、西舘勇陽に続く先発陣3日連続離脱」『日刊スポーツ』2025年8月3日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「【巨人】森田駿哉「緊張はしてる」7日ヤクルト戦でプロ初先発へ「期待に応えられるように」」『日刊スポーツ』2025年8月6日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「巨人・森田駿哉がプロ初先発で初勝利!手術そして初登板の不運乗り越え、6回2安打無失点快投」『スポニチアネックス』2025年8月6日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「“ちょっと不思議で面白い”巨人・森田駿哉 中5日も“社会人ではもっと短かった”と気にせず」『日テレNEWS NNN』2025年8月12日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 浜浦日向「巨人・森田駿哉「原(辰徳)さんの下敷きを小学校の5年間くらい使っていた」2年目左腕が7回無失点で2勝目」『サンスポ』2025年8月13日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「先月先発デビューの巨人・森田駿哉が3勝目 ヤクルト打線を6回自責0 前回本塁打された村上を2三振」『スポニチアネックス』2025年9月3日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「巨人・阿部監督「あれじゃキャッチャーが何人いても死人が出るよ」 森田に呆れ顔」『スポニチアネックス』2025年9月18日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「自力2位消滅の巨人が一挙6人入れ替え 高梨、森田、石川の3投手を抹消 増田陸らが1軍復帰」『スポニチアネックス』2025年9月19日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「【巨人】森田駿哉がブルペンで約190球の投げ込み 「自分がやることをやって結果を残すだけ」」『BASEBALL POST』2025年11月4日。2025年11月5日閲覧。
- ^ 「【巨人】ドラ2のホンダ鈴鹿・森田駿哉 最速154キロ直球&高速スライダー武器「目標は開幕ローテと2ケタ勝利」」『スポーツ報知』2023年10月27日。2024年2月17日閲覧。
- ^ 「【巨人】ドラ2森田駿哉「ぼちぼちかなと」今キャンプ2度目のブルペンで39球」『スポーツ報知』2024年2月3日。2024年2月17日閲覧。
- ^ 「【巨人】サヨナラ負けで借金生活逆戻り 9回マルティネスが同点2ラン被弾、森田駿哉がプロ初登板で黒星」『スポーツ報知』2025年7月31日。2025年7月31日閲覧。
- ^ a b 「【巨人】遅咲き2年目左腕・森田駿哉が仲間に救われ、チームを救うプロ初勝利「インコース強気に」」『日刊スポーツ』2025年8月6日。2025年8月7日閲覧。
- ^ 「【巨人】森田駿哉が5回にプロ初安打となる右前安打を放つ」『スポーツ報知』2025年8月20日。2025年8月28日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 森田駿哉 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 選手プロフィール - 読売ジャイアンツ公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 森田駿哉 (@syunyam) - Instagram
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