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比嘉公也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 04:05 UTC 版)

比嘉 公也
沖縄尚学高等学校 硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本
出身地 沖縄県
生年月日 (1981-06-29) 1981年6月29日(44歳)
身長
体重
175 cm
61 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴
  • 沖縄尚学高等学校

比嘉 公也(ひが こうや、1981年6月29日 - )は、沖縄県出身の高校野球指導者、元アマチュア野球選手(投手、左投左打)。

経歴

沖縄尚学高等学校では3年春の第71回選抜高等学校野球大会にエースとして出場し、比叡山との1回戦で村西哲幸と投げ合い完封勝利[1]PL学園との準決勝では延長12回、212球を投げ抜き完投勝利した[2]水戸商業との決勝では自身の登板はなかったが、チームは勝利し沖縄県勢初となる甲子園大会優勝を果たした[3]。同学年のチームメイトに比嘉寿光がいた。

高校卒業後は愛知学院大学に進学したが、左肘を痛めて現役を引退し、学生コーチに転身した[4]

大学卒業後は沖縄市の浄水管理所に勤務しながら、沖縄大学で社会科教員免許を取得。コーチや副部長を経て2006年に24歳で母校・沖縄尚学高校の野球部監督に就任したが、同年9月に部内で暴力事件が起き、対外試合禁止処分を受けた[5]

2008年春の第80回選抜高等学校野球大会では東浜巨嶺井博希のバッテリーを擁し、自身がエースだった1999年以来となる全国制覇を成し遂げた[4]。比嘉は26歳にして甲子園の優勝監督となり、渡辺元智が持っていた史上最年少記録(28歳)を35年ぶりに更新した。

2013年の明治神宮野球大会では日本文理との決勝で8点差を逆転して勝利し、初優勝した[6]

甲子園での成績

  • 春:出場5回・10勝4敗・勝率.714・優勝1回(2008年)
  • 夏:出場5回・6勝5敗・勝率.545
  • 通算:出場10回・16勝9敗・勝率.640・優勝1回

主な教え子

脚注

関連項目

外部リンク




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