桜ケ丘の造成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 23:52 UTC 版)
「桜ケ丘 (鹿児島市)」の記事における「桜ケ丘の造成」の解説
鹿児島市と谷山市に跨る上ノ原台地の開発の機運は農業人口の流出と鹿児島市の住宅地不足問題により1960年代からあった。しかしシラス台地の複雑な地形であり巨額の造成費用の負担が見込まれることから、鹿児島市や谷山市などで宅地造成などを行っていた地方開発事業団である鹿児島開発事業団や民間開発業者との間で交渉はまとまらなかったという。 1970年(昭和45年)に農地法が改正されたのに伴い、農業協同組合が農地等処分事業として地域開発を行うことが出来るようになり、その第1号として全国農業協同組合連合会に開発計画が全面委託され、1974年(昭和49年)8月には、「中山地区土地区画整理組合」が発足した。中山地区土地区画整理組合を施工主とする土地区画整理事業である「中山地区土地区画整理事業」として事業計画が決定し、同年10月に着工、1978年(昭和53年)に桜ケ丘団地の全ての区域の造成が完了した。また、中山地区区画整理事業の着手の同年には鹿児島大学医学部及び鹿児島大学病院が山下町から宇宿町(現在の桜ケ丘八丁目)に移転した。
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