松本清張の説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 23:27 UTC 版)
松本清張は、『清張日記』(日本放送出版協会 ISBN 4140083883、朝日文庫 ISBN 4022605375)の昭和56年(1981年)1月5日の記事で、古書市で購入した明治5年刊『布告全書』の正月8日の条に仙台県と盛岡県を各々宮城県と岩手県に改称したとの記述があったことから発展する形で「戊辰戦争で官軍に抵抗した主要藩には、その城下町名を県名とさせなかった」と述べている。 『清張日記』では朝敵藩に由来する県(『府藩県制史』や『街道をゆく』とは部分的に一致するがかなり異なる)を列挙し、いずれも合併や併呑で無くなったと論じている。具体的には盛岡県と仙台県の他に一ノ関県(伊達家支藩)、置賜県(米沢・上杉家)、酒田県(庄内・酒井家)、若松県(会津・松平家)、柏崎県(高田・榊原家および長岡・牧野家)、印旛県(佐倉・堀田家)、足柄県(小田原・大久保家)、浜松県(浜松・井上家および掛川・大田家)、額田県(岡崎・本多家)、名古屋県(名古屋・徳川家)、筑摩県(松本・戸田家および上田・松平家)が挙げられている。しかしこの列挙には、旧藩名から郡名に改称された後の県や、戊辰戦争の戦後処理で明治政府側の直轄地管轄拠点として設立された県も含まれている。 なお、「このことを早く書いたのは木村毅だったように思うが、なんという本だったか憶い出せない」とし、宮武外骨や司馬遼太郎には言及していない。
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