松本慶彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 08:36 UTC 版)
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基本情報 | |||||||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1981年1月7日(44歳) | ||||||||||
出身地 | 長野県長野市(旧戸隠村) | ||||||||||
ラテン文字 | Yoshihiko Matsumoto | ||||||||||
身長 | 193cm | ||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
高校 | 長野県岡谷工業高等学校 | ||||||||||
大学 | 中央大学 | ||||||||||
選手情報 | |||||||||||
所属 | VC長野トライデンツ | ||||||||||
背番号 | 17 | ||||||||||
愛称 | マツヤン | ||||||||||
ポジション | MB | ||||||||||
指高 | 256cm | ||||||||||
利き手 | 右 | ||||||||||
スパイク | 358cm | ||||||||||
ブロック | 330cm | ||||||||||
所属歴 | |||||||||||
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松本 慶彦(まつもと よしひこ、1981年1月7日 - )は、日本の男子バレーボール選手。
来歴
長野県長野市(旧戸隠村)出身。姉の影響で、中学1年よりバレーボールを始める[1]。
高校時代は、岡谷工高の全国大会初制覇に貢献する。高校まではサイドアタッカーであった[2]。
身長193cmとミドルブロッカーとしては小柄だが、リーチの長さ(指高の高さ)とジャンプ力によって、最高到達点は358cmと、全日本でも屈指の高さを誇る。
2003年にNECブルーロケッツに入団。2005/06シーズンの第12回Vリーグではベスト6とスパイク賞を受賞した。
2007年ワールドカップで、全日本代表に招集される。全日本での背番号は11。2008年の北京オリンピック出場に貢献し、本大会にも出場した。
2008年夏、所属先のNECを退社。堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)に入団するがNECの移籍同意書が得られず、2008/09Vプレミアリーグへは出場することができなかった。
2010年1月17日、パナソニックパンサーズ戦で右足前十字靱帯を損傷、全治3週間の怪我を負った。
2011/12Vプレミアリーグで再度ベスト6とスパイク賞を受賞した。2014年3月2日、JTサンダーズ戦でVリーグ通算230試合出場となり、Vリーグ栄誉賞の表彰基準に到達した[3]。
2021年2月21日、V1リーグ戦のFC東京戦に出場し、40歳にして前人未到のVリーグ通算400試合出場を達成した[4][5]。この試合でもフル出場を果たし[6]、以降も現役を続けていきたいとコメントを残した[4]。
2023年、堺ブレイザーズの選手兼コーチに就任した[7]。
2024年2月18日、大浜だいしんアリーナで開催されたV1男子のサントリーサンバーズ戦に先発出場を果たし、Vリーグ通算500試合出場を達成した[8][9]。
2025年3月、2024-25シーズン限りでの退団が発表された[10]。5月29日に自由交渉選手として公示[11]。6月にVC長野トライデンツへの入団が発表された[12]。
エピソード
- 小学生時代は、スキー場が近くにあって、父と伯父がスキーに縁があったこともあり、スキーに励んでいた。姉はバレーボール中継を夢中で見ていたが、当時はほとんど関心持たなかったという[2]。
- 中学生時代は、もともとはバスケットボール部に入部しようとしていたが、入学した中学校にバスケットボール部がなく、何となくバレーボール部に入部した。バレーボール部に入部した理由は、自身も詳しくは覚えてないという[2]。
- 高校時代はより高い打点で打つように指導され自信を深めたが、大学時代は速いトスを打つように指導され、そのスタイルに馴染めず、一度はバレーボールを辞めようとした。しかし、当時の中央大学監督・栗生澤淳一が、スピードに慣れるために一度ミドルブロッカーをやってみることを提案。それが大きな転機となり、ミドルブロッカーとしての頭角を現した。NECブルーロケッツ入部後も宇佐美大輔のトスから決められてさらに成長した[2]。
- 実家は祖父の代から始めた製麺工場である[2]。
- 妻の小由樹(旧姓・安武)は日立ベルフィーユでリベロとしてプレーした元Vリーガー[13][14]。息子は清風高等学校でセッターとしてプレーしている。
球歴
受賞歴
- 2006年 - 第12回Vリーグ ベスト6、スパイク賞
- 2012年 - 2011/12Vプレミアリーグ ベスト6、スパイク賞[15]
- 2014年 - 2013/14Vプレミアリーグ Vリーグ栄誉賞
- 2015年 - 2014/15Vプレミアリーグ スパイク賞[16]
所属チーム
- 長野市立戸隠中学校
- 長野県岡谷工業高等学校
- 中央大学
NECブルーロケッツ(2003-2008年)
堺ブレイザーズ/日本製鉄堺ブレイザーズ(2008-2025年)
VC長野トライデンツ(2025年-)
参考文献
- 「堺ブレイザーズ」『2013/14Vプレミアリーグ/Vチャレンジリーグ公式プログラム(男子編)』、Vリーグ機構、22頁。
- 「V・プレミアリーグ男子名鑑 堺ブレイザーズ」『Vリーグ観戦ガイドブックV.LEAGUE2013/14【チームの顔】月刊バレーボール12月号臨時増刊』、日本文化出版、66頁。
脚注
- ^ 「月刊バレーボール」2017年12月号臨時増刊 50ページ
- ^ a b c d e f 「VBドキュメント 松本慶彦/堺ブレイザーズ」『月刊バレーボール』、日本文化出版、2014年4月、122-125頁。
- ^ “松本慶彦選手Vリーグ出場通算230試合出場について”. Vリーグ機構 (2014年3月2日). 2014年4月2日閲覧。
- ^ a b 『松本慶彦選手V.LEAGUE通算400試合出場達成のお知らせ』(プレスリリース)堺ブレイザーズ、2021年2月21日 。2021年2月22日閲覧。
- ^ 『堺ブレイザーズ・松本慶彦選手 通算出場試合数400試合達成のお知らせ』(プレスリリース)Vリーグ機構、2021年2月22日 。2021年2月22日閲覧。
- ^ “試合結果速報 2020-21 V.LEAGUE DIVISION1 MEN レギュラーラウンド FC東京 VS 堺ブレイザーズ”. Vリーグ機構 (2021年2月21日). 2021年2月22日閲覧。
- ^ “堺ブレイザーズ2023-24シーズン体制・スローガンについて”. 堺ブレイザーズ (2023年7月3日). 2023年7月15日閲覧。
- ^ “松本慶彦選手 V.LEAGUE 通算出場試合数 500 試合を達成!”. 日本製鉄堺ブレイザーズ (2024年2月18日). 2024年2月18日閲覧。
- ^ 「43歳・松本慶彦、歴代最多500試合出場 バレーVリーグ」『産経新聞』2024年2月18日。2024年2月18日閲覧。
- ^ “選手の現役引退および退団について”. 日本製鉄堺ブレイザーズ. 2025年3月21日閲覧。
- ^ “自由交渉選手リスト”. 一般社団法人SVリーグ/一般社団法人ジャパンバレーボールリーグ SVL オフィシャルサイト WOMEN. 2025年5月29日閲覧。
- ^ “新入団選手のお知らせ”. 【公式】VC長野トライデンツ|男子バレーボールチーム (2025年6月6日). 2025年6月6日閲覧。
- ^ “「松本さんは、バレーボールの化身ですね」40歳でもスタメン、進化を止めない松本慶彦の何がスゴい?(米虫紀子)”. Number Web - ナンバー. 2025年5月29日閲覧。
- ^ “選手別成績 | RECORD / RANKING”. 一般社団法人SVリーグ/一般社団法人ジャパンバレーボールリーグ SVL オフィシャルサイト WOMEN. 2025年5月29日閲覧。
- ^ “【プレスリリース】2011/12V・プレミアリーグ(男子)レギュラーラウンド最終結果” (PDF). Vリーグ機構 (2012年3月11日). 2014年4月2日閲覧。
- ^ Vリーグ機構. “2014/15V・プレミアリーグ男子大会V・レギュラーラウンド 最終結果のお知らせ”. 2015年2月23日閲覧。
外部リンク
- 松本慶彦 - Olympedia
- 松本慶彦 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 松本慶彦 - V.LEAGUE
- 松本慶彦 - 日本製鉄堺ブレイザーズ
- FIVB 公式プロフィール
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