松ヶ崎横穴墓群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/21 23:44 UTC 版)

松ヶ崎横穴墓群(まつがさきよこあなぼぐん)は神奈川県横浜市港南区港南台9丁目にある古墳時代から奈良時代初めごろの横穴墓群遺跡。港南台遺跡群および㹨川流域横穴墓群の1つ。横浜市登録地域史跡に登録されている[1]。
概要
神奈川県立横浜明朋高等学校(かつて神奈川県立港南台高等学校)南側敷地の山の斜面にある。行政区は港南区だが栄区との区界に面し、㹨川の谷を降りた位置にあるため地域的にもほぼ栄区である。かつて港南台遺跡群に数えられ、8基残っていたといわれるが[2]、現場は雑木林でほとんど草木や土に埋められ、横穴の入口が少しだけ見えるような状態で2-3基が解る程度である。
羨道(入口)奥の死者の安置場(玄室)が、細長い台形の床面と蒲鉾形天井をもっており、さらに奥の壁に「棺室」といわれる置き棚のような小部屋を掘り造る「鎌倉型横穴墓(鍛冶ヶ谷式横穴墓」というデザインが特徴[3]。
2015年(平成27年)11月13日に横浜市登録地域文化財の「地域史跡」に登録されている[4]。
詳しく載っている本
- 鵠沼女子高等学校地歴研究部 『横浜市戸塚区㹨川流域の横穴群について』1964年(昭和39年)3月20日発行
- 神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課『港南台-横浜市港南台土地区画整理事業にともなう調査-(神奈川県埋蔵文化財調査報告9)』1976年(昭和51年)3月発行
- 港南の歴史発刊実行委員会『港南の歴史』1979年(昭和54年)10月1日発行
脚注
- ^ “港南台 横穴墓群が地域文化財に”. タウンニュース港南区・栄区版 (2015年11月26日). 2020年7月22日閲覧。
- ^ 神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課『港南台』(1976年)156-158ページ
- ^ 埋蔵文化財センター(横浜市)『埋文よこはま31』(2015年)1-3ページ
- ^ “指定・登録文化財目録”. 横浜市教育委員会 (2020年5月29日). 2020年7月24日閲覧。
参考文献
- 神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課『港南台-横浜市港南台土地区画整理事業にともなう調査-(神奈川県埋蔵文化財調査報告9)』1976年(昭和51年)3月発行
- 埋蔵文化財センター(横浜市)『埋文よこはま31号(㹨川流域の横穴墓群)』2015年(平成27年)3月20日発行
関連項目
- 港南台遺跡群
- 鎌倉型横穴墓(鍛冶ヶ谷式横穴墓)
- 㹨川流域横穴墓群
- 七石山横穴墓群
- 宮ノ前横穴墓群
- 横浜市登録地域文化財
- 横浜市指定文化財および地域文化財一覧
外部リンク
- “松ケ崎横穴古墳群の現状”. Kameno's Digital Photo Log (2010年9月22日). 2020年7月22日閲覧。
座標: 北緯35度22分09.1秒 東経139度34分21.2秒 / 北緯35.369194度 東経139.572556度
松ヶ崎横穴墓群
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「松ヶ崎横穴墓群」も参照 㹨川側の谷底平野に降る「松ヶ崎」と呼ばれる丘陵突端の斜面にある横穴墓で、踏査時は「20地点」とされた。神奈川県立横浜明朋高等学校(当時は神奈川県立港南台高等学校)の所有地に含まれている。上下2段に8基が確認されたとある。斜面上に擁壁が貼られるなど、丘陵にも造成が及んだが、墓群は開発領域から外れたため辛うじて現状に残された。「鎌倉型横穴墓」と呼ばれる鎌倉郡独特の横穴墓群である。
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