東氏門中の逸話
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津波古殿内(津波古家)は公文書作成や法律案、英語通訳、侍講など学識深い知識人が多い。「牧志恩河事件」では、玉川王子朝達(尚灝王七男・尚慎)も拷問にかけられるところを、津波古親方政正は、風説をもとに高官を落とし入れるのに反対、王母に訴えて刑を免れさせた。1879年の琉球処分による置県時に、開化党と頑固党が対立したおり、津波古親方政正は中立穏健な姿勢を取り、尚泰王は少なからず感化を受けた。一世の東風平親方政真が宅地を賜った場所は、崎山御嶽の隣という。御嶽の地所にはもと崎山里主が居住し、ここから高麗瓦が出土。首里城からも同じ年代の高麗瓦が出ており、察度王時代の物という。崎山里主は波上宮を創建、察度王の子という伝えと東氏の元祖という口碑がある。沖縄県那覇市首里崎山町の崎山御嶽がある崎山公園には、「東姓拝所」と刻まれた崎山里主の墓碑が現在も残されている。
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