東北時代
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2007年、開幕一軍を果たし先発ローテーションの一人として挙げられるものの、3月25日の練習後に人差し指のマメが潰れている事が判明し出遅れる。4月13日、対日本ハム戦(札幌ドーム)で、来日初先発登板。6回81球を投げ、被安打2の無失点の内容で来日初勝利を挙げる。 しかしその後は台湾との気候の違いから調整が上手くいかず投球が不安定なり、更に文化の違いに馴染めずホームシックに陥ったため、5月半ばにファーム降格となる。9月18日に一軍復帰し、その日の日本ハム戦で2番手として登板、復調の兆しを見せた。最終的に8試合に登板し1勝3敗防御率3.63。また同年12月開催のプレ五輪の台湾代表に選出され、第一戦の対韓国戦で先発した。 2008年は一軍戦登板なし。第2回WBCチャイニーズタイペイ代表を辞退。 2009年も一軍での登板はなく、11月2日に戦力外通告を受ける。その後、12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団はなく、12月30日に行われた中華職棒年度ドラフト会議で、兄弟エレファンツにドラフト1位指名され入団。
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