東京都の譲歩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:45 UTC 版)
2007年(平成19年)、東京都はヘリポート占有地の代替として、施設北側の隅地などの不使用地を東京都に返還する案をアメリカ側に提案し、2008年(平成20年)年末にアメリカ側も了承して合意した。なお、東京都は「敷地の全面返還」を求めており、代替地の返却も「全面返還への暫定措置」としている。代替地は施設北側の4,700m2で2010年(平成22年)中の引き渡しを求めていたが、敷地内の給油所や街灯を移設する工事が遅れ、早くても2011年(平成23年)にずれ込んだ。 アメリカは日米地位協定により返還する土地の原状回復義務はなく、諸費用の1億円は全て日本国政府が負担し、敷地に残された旧給油所の撤去作業等にも追加費用を要した。代替地として返還されたプレスセンター北側の敷地は、2007年に開業した国立新美術館と環状3号線の間の狭隘地で用途に乏しく、返還後は緑地帯となった。
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