東京都の移転要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 09:24 UTC 版)
東京都は蟻の街を隅田公園から撤去するよう様々な方策を取ってきたが、それはどれも間接的なものであった。この地は、同胞援護会が借り受けて建てた製材工場跡を小澤が同会から正式に借地しているものであり、他のバタヤ部落と違って不法占拠しているものではなかった。しかしながら、東京都側は蟻の街も隅田公園を占拠するバタヤ部落として捉えていた。 蟻の街が成り立ってから5年後に、東京都が代替地を斡旋するから移転するよう移転要求をした。もともと不法占拠ではない蟻の街は、代替地無償提供を求めることができる立場ではあった。しかし、浅草一帯に思い入れがあった小澤は隅田公園をもとの姿に戻したいと以前から希望しており、数年後に移転する計画を持っていた。ただし蟻の街への流入者数が日増しに伸びて行き、適当な移転先がなかなか見つからない状況が続いていたのであった。 そのため、小澤は東京都のこの代替地斡旋による立ち退き要求に同意した。ところが、この移転同意の段階では代替地が決定していなかった。蟻の街の立ち退きのみが決定しており、ある意味では単なる蟻の街の焼き払い計画である可能性があった。
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