東京経済大学設立
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「大倉高等商業学校」の記事における「東京経済大学設立」の解説
1945年11月にGHQの財閥解体政策によって大倉家の資産が凍結され、大倉経専は自力再建を強いられることになった。国分寺移転後の大倉経専の首脳陣から大倉家ゆかりの人物が次々と姿を消す中で大学昇格運動が始まる。その際に葵友会から「某キリスト教団」の支援によってミッション・スクール化しようとの提案があって、教授会と激しく対立するという一幕もあった。 新制東京経済大学が誕生したのは1949年4月。全学生が夏期休暇中にアルバイトや募金活動を行い、1人につき3000円を大学昇格資金として寄付することを決議するなど、全学挙げての努力によって昇格を実現したのである。そして、旧制大倉経済専門学校は1951年3月に最後の卒業生を送り出して廃校となった。
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