東京市への編入(昭和期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 15:03 UTC 版)
1932年に東京市が近隣の5郡82町村を編入することになり、豊多摩郡に属する代々幡町も東京市に編入されることとなった。新宿を生活の拠り所とする代々幡町は当初、同じく新宿と関係が深い淀橋町や大久保町などと共に一つの区を形成することを希望していたが、同じ郡の2~3の町村が合わさって一つの区を作るとのルールがあったため、仕方なく渋谷町・千駄ヶ谷町と組んで一つの区となることを受け入れた。新区名についても、当時は渋谷よりも明治神宮のある代々木の方が知名度が高かったことなどから「代々木区」とすることを希望しており、これに渋谷町が反対すると妥協案として「宮区」(幡ヶ谷・千駄ヶ谷・渋谷の3つの谷、すなわち「三谷(みや)」と明治神宮の「宮」をかけたもの)とする案も提示していたが、東京府議会と関係の深い渋谷町議会議員により新区名が半ば強引に「渋谷区」とされ、幡ヶ谷地域は渋谷区の一部となった。 以上のような経緯により代々幡町は東京市に編入されて旧渋谷町、旧千駄ヶ谷町と共に渋谷区を形成することになり、幡ヶ谷地域は渋谷区の北端に位置する離れ小島のような存在となってしまう。渋谷方面へのアクセスが良好な代々木地域や千駄ケ谷地域に比べ幡ヶ谷地域は新宿へのアクセスの方が抜群に優れており、街の雰囲気や川の水系が新宿に近い特徴を持つこともあり、区内でも異質な存在となってしまった。
※この「東京市への編入(昭和期)」の解説は、「幡ヶ谷」の解説の一部です。
「東京市への編入(昭和期)」を含む「幡ヶ谷」の記事については、「幡ヶ谷」の概要を参照ください。
- 東京市への編入のページへのリンク