東京地下鉄道の傘下入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:25 UTC 版)
「東京乗合自動車」の記事における「東京地下鉄道の傘下入り」の解説
社内の内紛により根津による東京乗合自動車の系列化は頓挫したが、水面下では着々と進展していた。例えば、根津系列の愛国生命保険は第5回社債(1930年12月発行)および第6回担保付社債(1933年12月発行)を引受けていた。 結局、石崎石三らが所有していた東京乗合自動車株は根津系の東京地下鉄道が買い取り、1935年(昭和10年)東京地下鉄道が88,785株を所有する筆頭株主として株主名簿に登場した。また同じ根津系の帝国興業や富国徴兵保険(現:富国生命保険)なども大株主として名を連ねた。早川徳次が社長に就任し、長延連ら経営陣は退陣した。 この動きは、1934年(昭和9年)に設立された東京高速鉄道に対応し、東京高速鉄道に先んじて東京の乗合自動車網を傘下に置こうとしたものではないかと推測されている。一方で、同時期に渡辺銀行傘下の渡辺保全、東京湾汽船(現:東海汽船)なども根津系企業の傘下に収まっており、渡辺系企業の根津財閥への包含過程の一環として捉えることもできるという推測も可能である。
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