杜弢の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 09:27 UTC 版)
その後、周訪は王敦と共に諸軍を率い、反乱を起こしていた杜弢の討伐に当たった。杜弢の兵士が桔槹を用いて周訪の船を攻撃すると、周訪は分叉の木棒を使って船の破壊を阻止させた。 315年、周訪は杜弢配下の張彦を討ち取った。だが、戦乱の最中に流れ矢を受け、2本の歯を折った。同日の黄昏時、周訪は反乱軍と河を隔てて対峙したが、反乱軍は周訪軍の何倍もの兵力を誇っており、まともに勝負は出来ないと思い、密かに一部の兵士に樵夫の恰好をして離れるよう命じた。その後、兵陣を構築して陣太鼓を鳴らしながら各陣を回り、大声で「左軍(左将軍王敦の軍)が来たぞ!」と叫ぶと、兵士は皆狂喜乱舞した。夜になると、周訪は兵士に命じて大量のたき火を行い、食事を作らせた。対岸の反乱軍は大軍が到来したと思い、夜に乗じて撤退した。周訪は気を緩めることなく、諸将へ対して「反乱軍は撤退した。だが、すぐに我が軍に援軍が無いことに気づき、必ずや戻ってくるであろう。出来るだけ早く河を渡って北に戻らねばなるまい」と語った。周訪は渡河を完了させると、橋を断って反乱軍が転進してくるのを防いだ。反乱軍は渡河出来なかった為、撤回して湘州へ戻った。周訪は態勢を立て直すと、水軍を率いて湘城へ進撃し、杜弢配下の杜弘を破った。功績により龍驤将軍に任じられ、また王敦の上表により豫章郡太守に任じられた。さらに征討都督を加えられ、尋陽県侯に封じられた。
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