杜文秀の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:29 UTC 版)
1856年には杜文秀が大理など50余りの城市を陥落させると、清朝からの独立を目指して「スルターン・スレイマン」と名乗った。1860年には鶴慶、剣川、安寧を占領、翌年には保山、永勝、景東庁を陥落させ、雲南省の3分の2を占領した。雲南省の馬如龍は奪回戦を開始するが、鎮圧は容易ではなかった。 清軍が大理を奪回するのは、1872年で、この動乱で数十万の回民が虐殺されたといわれる。
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