村瀬秋水とは? わかりやすく解説

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村瀬秋水

読み方むらせ しゅうすい

幕末・明治書画家美濃生。総庄屋村瀬平次の子。兄は頼山陽高弟村瀬藤城。名は徽、字は世猷、通称平三郎別号韓江・秋翁等。初め張月樵学び、のち中林竹洞野呂介石に就く。また頼山陽詩文教えを受け、長崎では僧鉄翁祖門とも交わる。詩書画ともに風韻富み近世南画壇に重きをなした。著書に『南遊墨戯』『南画門答』等。明治9年(1876)歿、82才。

村瀬秋水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:20 UTC 版)

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村瀬秋水「雪中騎驢孟浩然図」(70歳作)

村瀬 秋水(むらせ しゅうすい、寛政6年(1794年) - 明治9年(1876年7月29日)は、江戸時代後期の文人画家。名は清、後に徴。字は世猷。室名は芝蘭堂、鋤雲室。通称は真吾、太六、平三郎。初号に韓江がある。兄の村瀬藤城頼山陽の高弟であったことから笑社(のちに真社と改名)の社中となり、山陽から漢詩文を学んでいる。

略歴・人物

寛政6年(1794年)、美濃国武儀郡上有知村(現在の岐阜県美濃市)の庄屋村瀬敬忠の三男として生まれる。幼い頃、張月樵について画を学び、30歳の時に張月樵および野呂介石に入門した。儒者であった長兄の藤城が京都に住む頼山陽の高弟であったため、画家を志すことを許されず、その半生は家業に従事した。

文政7年(1824年)に大垣の江馬家に滞在して以来[1]、頼山陽・浦上春琴の門人であった江馬細香と南宗画について議論するようになり、社友としての交流は生涯続いた。

天保元年(1830年)、30歳のとき、長男の雪峡が生まれる。

天保8年(1837年)、44歳のとき、長崎に鉄翁祖門を訪ね、唐通事・水野湄川の仲介で清客・陸如金(字は品三 1786- ? )を唐館(中国人の宿泊施設)に訪ねている[2]

嘉永6年(1853年)に藤城が城崎旅行中に病歿して以後、分家して山中に隠棲し、20年間郷里を出ず、画業に専念した。

弘化2年(1845年)52歳のとき、古城山奉行(山守り職)を命ぜられた。

慶応3年(1867年)歿、82歳。没後、生まれ故郷美濃の円通寺に秋水の墓が建てられた。親族には長兄・藤城、次兄・立斎の他、長男の雪峡と孫の藍水がいる。また門人には森半逸・野川湘東・山内石泉・後藤蘇山・後藤釣雪・高井對雲・塚原南岳らがいる。

書画作品

  • 「冨春山図」(55歳)
  • 「琵湖秋色画巻」(57歳)
  • 「倣梅道人筆意図」(57歳)
  • 「山静日長図」(60歳)
  • 「雪中騎驢孟浩然図」(70歳)
  • 「醉翁亭図」(71歳)
  • 「鵞鳥図」(78歳)

著述

  • 『南画問答』
  • 『己未秋日作草稿』
  • 『秋水山人墨戯』(内題「南遊墨戯巻」)[3]

脚注

  1. ^ 文政7年12月の詩稿にみえる「秋水山人至京路、次阻雨信宿吾家」詩に拠る。
  2. ^ 嘉永三年(1850)に製作した「倣梅道人筆意図」の画賛「予嘗十餘年前遊長崎日、一日介舌官湄川先生訪清客陸品三於唐館。品三為之出示古画十数幅、其幅々為妙。就中梅道人所作墨竹一幅高風逸韻、真奇草也。予為之歎羨不已。迄今歴歴在耳目間也。因今試以其墨法写此、而不必求其形似、但写其意耳。観此以勿笑」に拠る。
  3. ^ 頼山陽評・村瀬秋水画『秋水山人墨戯』(頼山陽・篠崎小竹・雲華方外跋/村瀬秋水識語 天保2年〔1831〕序刊)

参考文献

  • 市原三三著『村瀬藤城と秋水』(美濃市教育委員会、昭和44年10月10日発行)
  • 美濃市編『美濃市史』通史篇(大洋社、昭和54年2月20日発行)
  • 梅村信芳『村瀬秋水墨跡集』(地球堂書店、平成6年5月7日発行)
  • 許永晝/小林詔子/森田聖子編著『読画入門―浦上春琴の論画詩に学ぶ―』(文人画研究会、2010年)

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