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李謳一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/12 00:57 UTC 版)

李謳一
プロフィール
出生: 1898年[1]
死去: 1946年(民国35年)10月21日[2][3]
中華民国南京市[2][3]
出身地: 広東省新会県[1][4][5]
職業: 軍人
各種表記
繁体字 李謳一
簡体字 李讴一
拼音 Lǐ Ōuyī
ラテン字 Li Ou-i
和名表記: り おういつ/り ういつ
発音転記: リー・オウイー
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李 謳一(り おういつ/り ういつ、1898年1946年〈民国35年〉10月21日)は、中華民国の軍人。別号は更生[4]啓頤[5]中国国民党初期からキャリアを積んだ軍人である。後年、南京国民政府(汪兆銘政権)で軍事の要職に就いた。

事績

初期の活動

保定陸軍軍官学校卒業。山東参戦軍第2師排長となるも、軍の内紛に激怒して帰郷、孫文(孫中山)らの革命活動に与した[4]。広東軍(粤軍)総司令部少校参謀、広西軍(桂軍)第8独立旅第1団団長、黄埔軍官学校教官、広東軍事政治学校歩兵科長、国民革命軍第4路総司令部少将参議、中央軍事籌備委員会駐粤弁事処中将主任を歴任した[1]。また、1935年(民国24年)にはドイツへ軍事研究に赴いている。この際に、日本との和平・反共路線の必要性を悟り、汪兆銘(汪精衛)の活動に参与することになったという[4]

汪兆銘政権での活動

1940年(民国29年)3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)が成立すると、李謳一は政治訓練部(部長:陳公博)政務次長に任命され[6]、また、4月には軍事委員会委員及び駐粤弁事処主任も兼任している[7]。広東では広東省政府主席代理・陳耀祖を補佐し、第3路軍・第4路軍・独立第2旅の兵力5万を率いていたという[8][9]。同年12月の中国国民党(汪派)第6期3中全会において、李は中央監察委員に選出された[10]

1941年(民国30年)1月上旬、首都警備司令部が新設され、中将の李謳一が警備司令に任命された[11]1943年(民国32年)5月6日、首都警察総監・鄧祖禹が江西省長へ異動したことに伴い、李が後任として総監を兼務している[12]

刑死

1945年(民国34年)8月に汪兆銘政権が崩壊すると、まもなく李謳一は蔣介石国民政府により漢奸として逮捕された[13]李士群の片腕と言われ蔣派の工作員を多数殺害した楊傑[注 1]に協力したことを罪に問われ、李謳一は死刑判決を下されている。翌1946年(民国35年)10月21日、李謳一は南京雨花台で銃殺刑に処された[2][3]。享年49。

注釈

  1. ^ 蔣派で雲南出身の軍人である楊杰とは、同姓同名の別人である。

出典

  1. ^ a b c 外務省東亜局(1939)、47頁。
  2. ^ a b c 「国防部軍法司槍決軍事漢奸及侵公物軍官」『民報』(南京)第475号、民国35年10月24日、2版。
  3. ^ a b c 益井(1948)、143-144頁。
  4. ^ a b c d 東亜問題調査会編(1941)、204頁。
  5. ^ a b 劉ほか編(1995)、1295頁。
  6. ^ 国民政府令、民国29年3月30日(『国民政府公報』(南京)、民国29年3月30日、国民政府文官処印刷局、13頁)。
  7. ^ 劉ほか編、1060頁。
  8. ^ 清水國光「新広東の建設」『現地報告』9巻7号通号46号、昭和文芸春秋社、57頁。
  9. ^ 「国民政府軍事現況」『国際月報』4号、昭和16年5月、情報局、84頁。
  10. ^ 「中国国民党三中全会」『週報』220号、昭和15年12月25日号、情報局、46頁。
  11. ^ 室鉄平「大東亜戦下の国民政府の使命」『外交時報』102巻3号通号898号、昭和17年5月1日、外交時報社、108頁。
  12. ^ 『日文国民政府彙報』第177号、民国32年5月17日、中国和文出版社、4頁。
  13. ^ 益井(1948)、20頁。

参考文献

  • 『新国民政府人名鑑』外務省東亜局、1940年。 
  • 東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
  • 益井康一『裁かれる汪政権 中国漢奸裁判秘録』植村書店、1948年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 



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