李禹煥との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 23:54 UTC 版)
1968年11月、関根はすぐ後に「もの派」 とその理論の支柱となる韓国生まれの作家、李禹煥と知り合った。李はソウルで老荘思想を学び、1956年に日本に移ってから、日本大学で近代西洋哲学を学んだ。李が関根の前衛的思考と作品を評価した一方で、関根は李の中に自らの制作と芸術観を支持する思想家としての存在を見出した。 1969年から1970年にかけて、様々な雑誌に李の「あるがままの世界」を開く「新しい構造」の出現についてのコメントが掲載された。 李は、「存在との出会い」、真実、そして対象/非対象といった区別からの自由を生み出す「場」に置かれた「もの」や「実体」の存在を指摘した。また、関根の行為は世界を対象化するのではなく、非対象の状態へ、知覚の地平へ解き放ち、それが含まれる世界をあらわにすることであると述べた。
※この「李禹煥との交流」の解説は、「関根伸夫」の解説の一部です。
「李禹煥との交流」を含む「関根伸夫」の記事については、「関根伸夫」の概要を参照ください。
- 李禹煥との交流のページへのリンク