杉本左近の上京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 18:17 UTC 版)
石徹白で500名あまりの追放が強行されていた宝暦5年(1755年)12月、杉本左近は各務郡芥見村の篠田源兵衛宅から京都へと向かった。これより先、宝暦5年(1755年)2月に、郡上八幡で拘束されていた杉本左近の名代として、左近の叔父である杉本左太夫らが京都の白川家を訪れ、白山中居神社の社人たちが白川家の門弟になっていたことの確認を試みていたが、その際、西園寺家に白川家への仲介を依頼していた。宝暦5年(1755年)12月からの杉本左近の上京時もまた、公家への縁故を頼り、そして白川家に対して改めて支援を依頼した。 杉本左近はしばらくの間京都で活動していたが、やがて美濃に戻った。美濃には500名あまりの追放された社人たちの多くが逃れてきていた。追放された社人らと善後策を相談する中で、とにかく江戸で訴訟を起こそうということになり、宝暦6年(1756年)7月末、杉本左近は単身江戸へと旅立った。
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