杉原紙の再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:15 UTC 版)
杉原紙はかつて「天下の名紙」と称されたが、大正期に生産者がいなくなると由緒も製法もわからなくなって、「幻の紙」と言われるようになった。 言語学者の新村出と英文学者・和紙研究家の寿岳文章は、失われた杉原紙のルーツを研究し、1940年(昭和15年)に兵庫県の杉原谷村(合併により、加美町を経て2014年現在は多可町の一部)が発祥の地であることを突き止めた。 1972年(昭和47年)に当時の加美町が出資し、町立杉原紙研究所を設立し、紙の生産を再興した。一度絶えた杉原紙を復活させた職人は、黒谷和紙の技術を学び、その技法で杉原紙を再興したことから、伝統は継承されていないが、この土地の環境が生み出す杉原紙の特徴である「上品な白さ」は再現されたという。 加美町ではほぼ全戸にあたる1900戸の住人がコウゾを栽培し(一戸一株運動)、杉原紙研究所に納めて紙漉きを行った。再興された杉原紙は「糊入り」や「紗漉き」を行っていないため、中近世の「杉原紙」とは質に違いがある。現在の杉原紙はコウゾだけを原料とすることで強靭さや独特の手触りが特徴である。 再興後の杉原紙は、1983年(昭和58年)に兵庫県の無形文化財に指定され、1993年(平成5年)には兵庫県によって伝統的工芸品とされた。 現在、同研究所及び隣接する道の駅杉原紙の里・多可などで販売されている。
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