札差への出資者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 09:19 UTC 版)
寛政改革時に棄捐令を画策していた頃、町奉行所で密かに札差の営業調査をしてみたところ、当時は自己資金だけの営業者が少なく、経営の「上之分」に入る札差は数人という報告を得たという(97軒中、自己資金で営業しているもの7軒、相応の営業をしているもの22軒、借金で営業をしているもの68軒)。奥印金として貸付けていた金は、実際には他人の金であった場合が多かったのである。 その金主は、裕福な商人や中世から続く公家や寺院であった。しかし自前の資金や町人からの金を貸す時も、公家や寺院から名目だけを借りたのである。このような金を名目金(みょうもくきん)と言う。旗本・御家人が名目金を借りられるように仕組み、札差はその保証をして手数料を取っていたのである。 三田村鳶魚は「倒れや腐れが出来た時は、それを金主の方へ押し着けてしまう」と書いており、当時貸倒れで泣いたのはお金を出した金主だったらしい。つまり貸借契約はあくまで金主と債務者の関係であって、それを取り次ぐ札差は都合よく口銭を稼いでいたのであった。
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