木村玉之助 (10代)とは? わかりやすく解説

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木村玉之助 (10代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 15:39 UTC 版)

10代木村玉之助
10th Kimura Tamanosuke
基礎情報
行司名 岩井駒千代 → 木村重二郎 → 岩井重二郎 → 岩井追之助 → 木村追之助 → 木村重治郎 → 木村晴彦 → 10代木村玉之助
本名 かとう ちよまつ
加藤 千代松
生年月日 (1873-09-04) 1873年9月4日
没年月日 (1938-02-19) 1938年2月19日(64歳没)
出身 日本大阪府(未確認)
所属部屋 中村部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 立行司(木村玉之助)
初土俵 1888年9月(大阪)
幕内格 1916年1月
三役格 1917年6月
立行司 1921年6月
引退 1937年5月
引退後 年寄・岩友玉翁
備考
2017年1月12日現在

10代 木村 玉之助(きむら たまのすけ、本名:加藤千代松、1873年9月4日 - 1938年2月19日)は大相撲の元立行司。所属は中村部屋。

人物

出身は大阪府ともいわれるが正確には不明。父は大坂相撲の番付版木彫師だった加藤判三九でその縁もあり行司を志望した。

岩井駒千代を名乗り1888年9月に番付初見。木村重二郎から岩井重二郎と改名し、1898年4月岩井追之助で格足袋(十両格)に昇進。木村追之助、木村重治郎から1916年1月木村晴彦となり上位4人目。1917年6月3人目、1919年5月次席となり9代目木村玉之助の急死により、1921年6月47歳で木村玉之助を襲名する。温厚で後進の指導に尽くし1926年1月まで6年間、大阪の立行司としてトップであった。1927年に東京との合併により木村庄之助式守伊之助に次ぐ3人目の地位となった。合併当初は立行司としての地位で重んじられ、裁く番数は1931年1月まで日替わりで結び1番と同格だった。大阪からの加入で3人目の地位に甘んじ、巡業は小相撲に参加していたため苦労していた。

1937年5月限り63歳で行司を引退し年寄・岩友玉翁を襲名、1938年1月には岩友晴彦としたが、1938年2月19日64歳で急死した。戒名、墓所は不明。

弟の加藤登良三も行司であり兄と同じく1888年9月に木村庄三で番付初見、5人目から6人目の地位まで昇進したが1920年1月限り引退し、頭取(年寄)高崎となり東西合併後の1928年5月頃に死去するまで番付にあった。

参考文献

  • 月刊相撲 1999年12月号、『大坂相撲入門 第12回』

関連項目

脚注





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