春川の戦い
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1950年6月25日、朝鮮戦争勃発。韓国軍第6師団には北朝鮮軍第2師団(李青松少将)と独立戦車連隊の支援を受けた北朝鮮軍第12師団(全宇少将)が侵攻してきた。 韓国軍第6師団は険峻な地形を利用して勇戦した。この戦闘(国境開戦)で北朝鮮軍は春川の攻略が遅れ、北朝鮮軍第2師団はかなりの損害を受けた。これにより第2師団を水原に突入させ韓国軍主力を捕捉するという北朝鮮軍の計画に躓きが生じることとなる。 6月27日、洪川に敵の圧力が加わり春川を放棄せざる得なかった。この時、韓国陸軍本部との連絡が通じると、金白一から「貴官の判断で中央線沿いに持久せよ」と命じられた。しかしその後、陸軍本部との連絡は途絶した。第6師団は抵抗しながら原州に整然と後退した。 6月30日、洪川が陥落して北朝鮮軍は行動の自由を得たが、予定より4日も遅れたことは後の戦況に大きく影響することになった。第6師団は原州に撤収し終え全周防御を準備した。 その後、張昌國作戦局長が原州に飛来した。張作戦局長は全般戦況を伝え、第8師団の撤収を掩護した後、忠州まで後退して驪州方面の警戒を厳にするよう注意した。また第8師団に後退命令を伝えるように依頼した。金鐘五は第8師団に陸軍本部の命令を伝えた後、偵察隊を出した。驪州の町は至る所に人民共和国万歳の壁報が貼られ、敵の侵入を匂わせていた。この報告に金鐘五は驪州に入った部隊が忠州に南下して師団の退路を断つことを恐れた。
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