春分日との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:46 UTC 版)
毎年国立天文台が「春分日」を含め作成する翌年の『暦象年表』という小冊子に基づき、施行年の前年の2月第1平日付の官報の公告(特殊法人等)欄の「暦要項」において「春分の日」として公告される。『暦象年表』以降の将来も春分日は天文学で計算できるが、このような手続きを経るため正式な「春分の日」は公告でしか確定しない。なお、この暦要項は、閣議決定等はされず、閣議報告事項でもない。 天文計算で「春分日」は、1892年以降は、閏年前年となる1895年、1899年で3月21日となる以外はすべて3月20日であった。1900年以降は、閏年前年となる1903年、1907年、1911年、1915年、1919年、1923年(大正13年)で3月22日になる以外はすべて3月21日であった。1924年以降は毎年3月21日になっていたが、1960年以降は閏年だけが3月20日になり、1993年からは閏年翌年も3月20日になるため、2年毎に日付が変わる。2027年以降は閏年前年のみ3月21日となり、その他は3月20日になる。2056年から2100年まではほぼ3月20日になるが、2092年、2096年だけに3月19日に春分日が現れる。一方、春分日に再び3月22日が現れるのは2303年と計算されている。 近年の春分日、秋分日は項末の表を参照。現行制度でこれらの「春分日」が「春分の日」となるかは前年にならないと確定しない。
※この「春分日との関係」の解説は、「春分の日」の解説の一部です。
「春分日との関係」を含む「春分の日」の記事については、「春分の日」の概要を参照ください。
- 春分日との関係のページへのリンク