明治維新から西南戦争まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/04 06:36 UTC 版)
大学権大丞となった弟の小倉処平は海外留学を命じられて、明治4年(1871年)4月1日(1871年5月19日)にイギリスへ到着し、同4月4日(1871年5月24日)にロンドンから訒に手紙を送っている。廃藩置県後は飫肥県や宮崎県の官員を勤め、明治9年(1876年)に宮崎県と鹿児島県が統合後は鹿児島県中属として宮崎支庁の官員を勤める。 明治10年(1877年)2月6日に西南戦争が起きると、石川駿をして鹿児島県令大山綱良の手書を飫肥に送り、伊東直記や川崎新五郎に飫肥隊を組織させる。訒は大山綱良より山口県や兵庫県などの他県に西郷軍の宣伝文を届ける専使を命じられて、同年2月10日に鹿児島を出たが、同年2月14日に福岡県久留米で逮捕される。一方で同日に西郷軍の閲兵式が鹿児島で行われ、2月15日には鹿児島を出発していた。訒はその後、東京臨時裁判所に送られ、戦闘に参加することはなかった。
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