明治学院退任後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:56 UTC 版)
1964年明治学院大学大学院教授を退任し、その後2年間の嘱託教授を続けた後、1966年桜美林大学教授となった。これは桜美林大学の創立者清水安三の要請に応えたもので大学に経済学部を新設するための準備を託されたものだった。 1959年のヘボン来日100周年以降、行事・出版等が続いた。高谷は『明治学院九十年史』『フェリス女学院百年史』『指路教会百年の歩み』を相次いで執筆した。この時フェリス女学院史執筆のためフェリスで助手を務めた田中松江と1963年に結婚した。 1965年に『S.R.ブラウン書簡集』を日本基督教団出版部より、1980年に『フルベッキ書簡集』を新教出版社より出版した。さらにタウンゼント・ハリスの研究に取り組んだ。この研究は一般に誤解されていたハリス像に対し強く訂正を迫るものであった。
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