早淵恒治とは? わかりやすく解説

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早淵恒治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 01:35 UTC 版)

早淵 恒治(早渕、はやぶち つねじ、1901年明治34年)1月24日[1] - 1964年昭和39年)8月3日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

愛知県出身[1][2]1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[2]1931年(昭和6年)陸軍大学校第43期を優等で卒業[3]

支那事変で軍務課外交班長から中支那派遣軍隷下の第3飛行集団参謀として出動する[1]1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進み、陸軍航空本部第2課長に補され[2]、翌年の1942年(昭和17年)12月には第6飛行師団参謀長となり[2]ニューギニア戦線を指揮した[1]。ついで航空本部附、陸軍大学校教官を経て、1945年(昭和20年)1月、陸軍航空士官学校教授部長に補され、同年3月、陸軍少将に進んだ[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

外国勲章佩用允許

脚注

  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 596頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 446頁.
  3. ^ 外山 1981, 付録第一27頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  5. ^ 斎藤良衛外四十一名外国勲章記章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113452900 

参考文献

  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 ISBN 4829502738 



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