旧版における卍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 18:21 UTC 版)
「ラドヤード・キップリング」の記事における「旧版における卍」の解説
A left-facing swastika キプリングの本の旧版の多くには、カバーに蓮の花を運ぶ象の絵と「卍」の記号が印刷されている。このため1930年代以降、「ハーケンクロイツ」をシンボルとするナチズムの支持者と誤解された。しかしナチ党の前身であるドイツ労働者党が成立したのは1919年、「ハーケンクロイツ」を採用したのも1920年6月のことであり、キプリングが主たる著書を発刊したのはそれ以前であった。キプリングが卍を用いたのは、インドでは太陽のシンボルとして幸運と幸福をもたらすとされていたのと、卍の語 (swastika) がサンスクリットにおいて幸運を意味するsvastikaから派生したことによる。彼は卍のシンボルを左右両面に使い、それは当時は一般に使用されていた。ナチスが政権を取る前から、キプリングはそれを支援することになってはいけないと考え、製版業者に卍を削除するように要求していた。キプリングは死の1年前の1935年5月6日に、聖ジョージ王立協会でスピーチし (題は「無防備の島」)、ナチス・ドイツがイギリスに危険をもたらすという警告をしていた。
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