旧制専門学校としての復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 19:10 UTC 版)
「外国語学校 (旧制)」の記事における「旧制専門学校としての復活」の解説
1897年、東京商業学校の後身である高等商業学校の附属として外国語学校が設置、さらに2年後の99年には東京外国語学校として独立した。ついで1910年代に入ると、第一次世界大戦の時期における、大戦景気において、日本のアジア市場への進出が進んだことで、貿易や外交を担う人材の育成の観点から、外国語学校の増設が求められるようになった。そのことを受けて、1920年代になると、21年に大阪外国語学校、27年には私立最初の専門学校令による外国語学校として天理外国語学校(天理大学の前身)が設立された。これらの外国語学校は外交・貿易・布教など海外活動実務者の養成機関として位置づけられ、旧制高等学校 - 帝国大学進学者にとって必須の教養であった英語・仏語・独語のみならず、支那語・露語・西語・葡語・馬来語・印度諸言語など、よりマイナーな語学の教育を重視していたという点に特徴がある。
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