旧・小県郡丸子町立長瀬小学校→同丸子北小学校長瀬部校とは? わかりやすく解説

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旧・小県郡丸子町立長瀬小学校→同丸子北小学校長瀬部校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:34 UTC 版)

上田市立丸子北小学校」の記事における「旧・小県郡丸子町立長瀬小学校→同丸子北小学校長瀬部校」の解説

1873年学制頒布翌年小県郡長瀬藤原田2校区とする「大同学校」として開校したのがルーツである。1876年藤原田独立して「明敬学校」を開校させたため小県郡長瀬村のみとなる。1886年に「塩川学校」・「藤原田学校」(※共に上田市立塩川小学校前身)と統合して長瀬学校」と改称。旧大同本校となる。1888年に「生田学校」を合併し校域を小県郡丸子町北部全域拡大した1889年小県郡長瀬村合併経ず発足すると「長瀬学校」は解体本校村立長瀬尋常小学校として再出発した廃校まで地元では「長瀬学校」の名で親しまれる事となった。 1895年高等科の分値により村立長瀬尋常高等小学校改称1941年国民学校令発布により村立長瀬国民学校改称1947年学制改革により村立長瀬小学校改称し同時に併設長瀬中学校開校する1954年併設していた長瀬中学校依田中学校統合し組合立依田川中学校開校させたためやはり合併前に小学校単独に戻っている。1955年小県郡長瀬村依田村と共に丸子町合併小県郡丸子町立長小学校改称した1973年小県郡丸子町依田小学校統合し小県郡丸子町丸子北小学校発足し長瀬部校となる。そして1975年依田村地区統合校舎が完成し移転。これにより通算102年歴史に幕閉じた

※この「旧・小県郡丸子町立長瀬小学校→同丸子北小学校長瀬部校」の解説は、「上田市立丸子北小学校」の解説の一部です。
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