旧・上田市立川辺小中学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 22:08 UTC 版)
「上田市立川辺小学校」の記事における「旧・上田市立川辺小中学校」の解説
1889年4月1日に小県郡川辺村が発足した際「中之条学校」の上田原分教場が分離独立し「小泉学校」の学区の一部を編入して村立川辺尋常小学校として発足しているが、ルーツは1872年、学制頒布の翌年に小県郡上田原・築地・下之条・神畑の4村を学区として開校した「弘教学校」である。同校は1886年に上田市立城下小学校の前身に当たる「亮功学校」・「若宮学校」と合併して「中之条学校」の上田原分教場となるがこの際築地村が分離して「小泉学校」の学区となった。そして4村が合併して小県郡川辺村が合併すると「中之条学校」は解体、上田原分教場は「小泉学校」の学区も加えて村立川辺尋常小学校として再独立している。1895年には高等科の分置により村立川辺尋常高等小学校と改称している。 1910年に現在地に校舎を移転。1941年に国民学校令により村立川辺国民学校となり終戦。1947年には学制改革により村立川辺小学校と改称し同時に併設で川辺中学校が開校した。(以降川辺小中学校)1954年に小県郡川辺村が戦後初の編入相手として上田市に合併されると上田市立川辺小中学校と改称。このまま1959年を迎えていた。
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