日高時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 16:58 UTC 版)
1917年(大正6年)に、イボアは日高種馬牧場に移された。日高種馬牧場は、形式的には九州種馬牧場が移転してきたものだったが、実態としては日高地方に新設された国立種馬牧場である。日高地方は十勝よりも洋種馬の導入が早く、優れた競走用牝馬を飼養する農家も少なくなかった。こうした牝馬に交配されることで、イボアの産駒からは次々と大競走を勝つものが現れた。 1923年(大正12年)7月に(旧)競馬法が施行され、馬券の発売が許可されるともに、全国の競馬組織が体系化された。このため日本では一般に、翌1924年(大正13年)から種牡馬の統計がはじまる。イボアはこのリーディングサイヤーで、1924年(大正13年)から1929年(昭和4年)まで6年間に渡り、日本の種牡馬チャンピオンの座に君臨した。 イボア自身は1928年(昭和3年)の夏に死んだ。骨格は農林省で保存された。日高ではイボアの銅像建設の計画があったが、戦時経済に突入して物資が不足し、実現しなかった。
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