日韓関係改善への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
サッカー・ワールドカップが2002年に日韓で共同開催することが決定すると、これを契機に日韓関係を改善する機運が高まった。 日韓共同宣言が小渕恵三総理大臣と金大中大統領により発表され、「日韓は過去の歴史を克服し、未来志向の日韓関係を発展させること」に合意し、韓国での日本大衆文化の流入制限も段階的に解除していくことも表明された。2000年は「日韓国民交流年」に指定され、日韓の「査証(ビザ)なし相互訪問」を恒常化し、特に観光面での交流拡大が行われた。両国の都市には相手国の言語による案内標識などが整備されて、それまで日本側からの訪問人数が多かった観光も、日本の観光地に韓国人観光客の姿が増えるなどの変化が見られるようになった。 歴史認識問題も小泉純一郎総理大臣が靖国神社参拝を断念し、日韓歴史共同研究を提唱するなど、韓国に対する歩み寄りを試みた。また、明仁天皇が『続日本紀』に「高野新笠が百済王族の遠縁」と記されていることについて述べ、いわゆる「韓国とのゆかり」発言をおこなった。
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