日本鉄道時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:14 UTC 版)
「大宮総合車両センター」の記事における「日本鉄道時代」の解説
1894年(明治27年)3月29日 - 上野駅構内にあった車両修繕工場を移転すべく、大宮駅北のスペースに工場の建設を決定。当時の広さ127,144m2。 10月20日 - 日本鉄道業務部汽車課として設立され、12月15日に操業開始。 1896年(明治29年)9月1日 - 汽車課から独立、大宮工場に改称する。 1899年(明治32年)5月3日 - 盛岡工場(現・廃止)を分工場とする。 1901年(明治34年) - 本工場初の新製蒸気機関車Obt2/4形(機関車番号は3(2代目)、のちの国鉄5270形)落成。 1904年(明治37年) - C形タンク機関車O3/3形(機関車番号は401 - 406、のちの国鉄1040形)落成。
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Obt2/4形蒸気機関車(機関車番号3(2代目)、のちの国鉄5270形蒸気機関車)イギリス製テンダー機関車を見本に製造した2B形テンダー機関車、1両製造。 O3/3形蒸気機関車(機関車番号は401 - 406、のちの国鉄1040形蒸気機関車)イギリス製タンク機関車を見本に製造したC形タンク機関車、6両製造。
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