日本選手権での接戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 23:19 UTC 版)
前述の通り、池田久美子と花岡麻帆は日本選手権で接戦を演じることが多い。2001年は池田6メートル78の日本記録に花岡6メートル82のこれまた日本記録で4センチ差逆転され、2003年は池田6メートル64に花岡6メートル63で1センチ池田の勝ち。2004年は花岡が6メートル67を出し、池田は6メートル63、6メートル64と迫るが逆転はならず。 そして2005年、世界選手権代表の座をかけた日本選手権は日本陸上史に残る熱戦となった。二人は3回目の跳躍を終え、それぞれ花岡6メートル57、池田6メートル60。花岡→池田の順番で残りの3回の試技を行うことになった。4回目の跳躍で花岡は6メートル61と記録を伸ばし、トップに立つ。しかし池田も、5回目の跳躍で大ジャンプ。6メートル69で再びトップに。ここで花岡は追い込まれる。しかし花岡ももうひとつ日本記録を保持している三段跳を欠場してまでこの種目にかけており、譲れない。6回目の跳躍、あまり風には恵まれなかった(追い風0.1メートル)ものの身体は大きく浮き、6メートル69を出し、池田に並んだ。二人が同じ記録で並んだ場合は2番目の記録(セカンド記録)で勝敗が決まるため、逆に花岡のリードとなり、最終跳躍者である池田に大きなプレッシャーがかかる。そんななか、池田の最後のジャンプ。記録は6メートル61。この結果、セカンド記録まで二人が並び、サード記録(それさえわずか3センチ差)まで勝敗にかかわるという類を見ない接戦となった。勝利のコールを受けた池田は、その年にかつての師でもあった父を亡くしたこともあってか、感激の涙を流した。 NHKはこの模様を生中継していたが、まさに池田が最後の一回を跳ぶ直前で放送時間が終了してしまい、その後のニュースでも結果について触れなかった。
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