日本復帰と国有化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 02:43 UTC 版)
1972年(昭和47年)5月15日に沖縄県が日本に復帰し、尖閣諸島もその中に含まれた。2012年(平成24年)には尖閣諸島のうち民間人が保有していた3島(魚釣島、北小島、南小島)を日本政府が20億5千万円で買い上げ、尖閣諸島全土を国有地とした。 2015年(平成27年)9月に尖閣諸島の字を「登野城」から「登野城尖閣」に変更する陳情書が石垣市に提出され、翌年より市議会で審議を開始。2017年(平成29年)9月、石垣市の中山義隆市長が定例市議会において字名を変更する議案を上程すると発言。その後、11月末になって石垣市は翌月の定例市議会に方針を固めたが、国との調整が必要であることを理由に翌年以降に先送りした。その後、2019年(平成31年)3月の市議会では市側から当面見送るとの方針が示された。 2020年(令和2年)6月9日に字名を改める議案が市議会に提出された。石垣市の事務手続きにおいて、尖閣諸島と石垣島内の登野城地域を混同した事例があったことから、両者を区別して行政事務を効率化することが議案提出の理由であった。議案は6月22日の市議会で賛成13、反対8票の賛成多数で可決・成立。同年10月1日に尖閣諸島の字名が登野城から登野城尖閣へと改名され、郵便番号は907-0031が割り振られた。なお字名変更に伴い番地は変更されていない。
※この「日本復帰と国有化」の解説は、「登野城尖閣」の解説の一部です。
「日本復帰と国有化」を含む「登野城尖閣」の記事については、「登野城尖閣」の概要を参照ください。
- 日本復帰と国有化のページへのリンク