日本基督教団成立とホーリネス弾圧事件
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「日本の福音派」の記事における「日本基督教団成立とホーリネス弾圧事件」の解説
詳細は「日本基督教団」および「ホーリネス弾圧事件」を参照 皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の宣言により成立した日本基督教団は、創立総会で国民儀礼、宮城遥拝を行った。また日本基督教団トップである統理者富田満牧師は伊勢神宮に参拝して天照大神に教団の設立を報告し、その発展を希願した。このため教団の発展は伊勢神宮の祭神である天照大神に帰せられると言われる。ホーリネス弾圧事件がおこると教団の指導者はこれを歓迎し、弾圧に加担した。また、軍用機「日本基督教団号」を献納し、日本基督教団自らが「現代の使徒書簡」と称する『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰』を発表した。 常葉隆興は日本基督教団の結成式で行われた宮城遥拝は、「偶像礼拝であり、神に対して死に値する罪であった。」と告白した。 これは自由主義神学の高等批評によって信仰が骨抜きにされており、植村神学が簡易信条主義であったことから、異教の偶像崇拝に対して抵抗する力を持たなかったとされ、また中央神学校のチャップマン教授は、戦前の日本の教会が旧約聖書の知識を欠いていた事を指摘する。 戦後の日本基督教団はアメリカ合衆国やヨーロッパのエキュメニカル派に認められた。教団は戦時中の妥協にも関わらず欧米に認められたことに満足したのだと指摘される。日本基督教団は世界教会協議会(WCC)、エキュメニカル派に属しており、福音派と区別される。
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