日本基督改革派教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/28 08:24 UTC 版)
「松尾武 (牧師)」の記事における「日本基督改革派教会」の解説
1946年(昭和21年)、埼玉県浦和市(現さいたま市)で開拓伝道を開始、北浦和教会を設立、また双恵幼稚園を開園する。同年に松尾を始め、岡田稔、常葉隆興、春名寿章ら8人の牧師と信徒が日本基督教団を離脱して、日本基督改革派教会の創立メンバーになる。改革派創立宣言に対して、日本基督教団の竹森満佐一から、1949年5月の「福音と時代」に厳しい批判と注文が出た。松尾はそれに対して「改革派世界」に応答した。竹森が「改革派の人々は改革派陣営の内部で本家争いをするつもりなのか」と問うたのに対して、松尾は「事は勿論本家争い」と答えた。日本基督教団の山永武雄は、日本基督教団の外にあって改革派教会を名乗る教会は、分派的少数派であると主張した。 1953年(昭和28年)双恵小学校を開校、1959年双恵中学校を開校、1963年小学校、中学校を閉校した。双恵幼稚園(園長は日本女子大学講師・松尾節)は、現在でも学校法人双恵学園として活動している。 1954年(昭和29年)11月23日に日本カルヴィニスト協会(略称:JCA)を発会させ、カルヴァン主義運動の指導者となる。
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