日本における人力飛行機開発の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:27 UTC 版)
「人力飛行機」の記事における「日本における人力飛行機開発の始まり」の解説
日本では当時日本大学の教授であった木村秀政が1961年末にSUMPAC、パフィンの成功に着想を得て、1963年から学生の卒業研究として人力飛行機を取り入れた。1966年2月27日にリネット1が岡宮宗孝の搭乗により日本初の人力飛行に成功した。このときの飛距離は15mであった。この成功はSUMPAC、パフィン、パフィン2に続く世界で4例目の人力飛行となった。このリネット1を皮切りに日本大学ではほぼ1年に1機のペースで人力飛行機が製作されることとなる。また、日本大学の成功を契機に日本においても人力飛行機開発が活発となった。この中でグライダー設計者として著名な前田建一が設計し、福岡第一高等学校航空機関科の手により製作された佐藤前田式SM-OXは1969年に初飛行に成功し、1971年には最長となる69mの飛行に成功した。日本大学の同時期の機体であるリネットシリーズに続く2例目の成功であり、同時にリネットシリーズにも劣らない記録を残した。
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