日本での伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/27 08:16 UTC 版)
平安時代の『今昔物語集』は高大魚と書く。始皇帝は左驂馬という愛馬を大高魚が食い殺す夢を見て、高大魚を殺せという命令を下した。人々は高大魚を探したが、とても殺せるものではない。それとは別に、不死の薬を求めた始皇帝は、方士を蓬莱山に使わしたが、これも高大魚に妨げられた。そこで始皇帝がみずから船に乗り、高大魚を射殺した。すると帰る間に重い病を受けて病死したという。 室町時代に書かれた『太平記』では、鮫大魚とする。僧の妙吉が足利直義に語った故事として記される。やはり蓬莱山に不死の薬を求めた徐福・文政という道士が、竜神の祟りのせいで蓬莱に行けないと言い立てたため、始皇帝は数万槽の大船を率いて海に乗り出した。之罘の大河を過ぎるとき、300万人がときの声をあげると、驚いた竜神が鮫大魚という500丈(約1500メートル)ばかりの魚に変じて姿を現した。その頭は師子(獅子)のようで天に向かってそびえ、背は竜虵のようで海に横たわった。だが、四方から放たれた数百万の毒の矢を受けてたちまち殺された。その夜、始皇帝は竜神と戦う夢を見たが、翌日から病み苦しみ、7日後に死んだという。
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