日曜下宿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:24 UTC 版)
「陸軍士官学校 (日本)」の記事における「日曜下宿」の解説
陸士付近には、日曜下宿と称される休憩所が設けられていた。日曜下宿は同郷出身の将校の会などが民家の全部または一部、または店舗一部を借り上げたり、専用建物を建設したものである。1930年代初期時点で数十個が市ヶ谷台付近に存在した。 日曜下宿で、生徒は、一日中、何をしていたか。いま思い出しても、ただ、ごろごろして飲んだり食ったり、新聞雑誌を読んだりするだけであった。そとからみると、折角の日曜日をムダ使いしているようにみえるかもしれないが、当時の生徒たちは、ただ、娑婆の空気に触れることだけ、また、学校外でつくられた食事や菓子をたべることだけで、満足していたような気がする。だから、夕刻になると、元気を蓄えて学校へ戻ってきたのである。 — 『陸軍士官学校』 pp.152 - 153 陸士が市ヶ谷台から相武台、修武台、振武台へ移転や分離後は、市ヶ谷台程の規模にまでは発展せずとも現地で日曜下宿が設けられている。省部移転後の市ヶ谷台の旧日曜下宿は、将校の会合場所や宿泊場所として一部は転用された。
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