日吉町・石見町(旧万寿村の一部)
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「老松 (倉敷市)」の記事における「日吉町・石見町(旧万寿村の一部)」の解説
倉敷市駅西北に位置する。JR伯備線が大きく曲がっている地点にあたる。石見町は、旧チボリ公園の南接地区である。 天正年間に岡山城主宇喜多秀家の家臣・岡豊前守が干拓して新田を開発、窪屋郡日吉庄村(ひえのしょうそん)とした。慶長5年9月、関ヶ原の戦いで宇喜多氏が敗北すると徳川幕府領となる。元和3年になると旗本長谷川氏(摂津国島本郡二階堂村)の知行所の所領となる。当地には勤番所が設置された。慶長年間にはさらに新田開発が行われ、幕末期には556石9斗4升の石高を記録されている。 1889年(明治22年)6月1日、窪屋郡八王子村などの周辺6村と合併し万寿村(ますそん)となり、同村の大字日吉となる。その後、倉敷町への編入を経て倉敷市(旧)となると、日吉町と改称、また一部を石見町として分離する。後に新しい倉敷市となり、現在に至る。現在は、倉敷駅や中心市街地に近いことから農地が次第に宅地化され、住宅街となっている
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